2018/12/06

 

 私は萩尾望都さんの「半神」という漫画が大好きだ。

 数年前に初めて読んだ時には、身体中にビリビリと電流が走ったかのような感銘を受け、それ以来何度となく読み返しては震えながら泣いてしまう。

 たった16ページのこの短編漫画に、どうしてこんなに魅せられてしまったのか、思ったことを文字にしようと思う。

 

実は私は、この漫画の主人公、ユーシーと同じ経験をしたことがあった。

年も同じ13歳の頃。それは大きな事件だった。

その年以降、私の脳の回線はカチッと切り替わったようになって、私はまるで別人のようになった。

 

友人や家族、周りの人から見たら私は昔と何も変わらないのかもしれないけれど、今の私は、13歳で死んだ女の子とは別人の生まれ変わりなのだ。

 

12歳までの私は、どんなに学校でいじめられても、何食わぬ顔でニコニコ笑って学校に毎日通っていた。

母親や先生にいじめられるような弱い子だと思われたくなかったのだ。

どんな状況でもヘラヘラと笑っているので、気味悪がられた。

叱られた後に笑いながら廊下をスキップするような子供だった。

 

でも13歳になる年、私は笑えなくなった。

無理して笑顔を作るために、いつでも楽しそうに歌って、踊りながら走った。中学校の廊下で私は自分の身体をぐるぐると回転させて、常に手足を動かしていないと落ち着かなかった。

思春期になって、もともと人付き合いが苦手だった私は、小学校で仲が良かった子とギクシャクするようになった。

学校中を笑いながら駆け回るという私の奇行はやがて噂になって、影ではヤク中なんて言われていたらしい。

でもそれを人伝に知る頃には、踊り疲れた私の身体は限界を迎えていて、もう家から出ることもできなくなっていた。

弱っていく私を見て、家族は戸惑った。

母は私の食事をいちいち見張って、このままじゃ死んじゃうよ、と毎日叫んで泣いた。

その頃には脳までやられ始めていて、私は未就学児のような言動をするようになった。

ご近所の人に110番通報されて、家に婦警さんが訪ねてきた。

彼女は私を見て、とても可哀想な子供だと言って、帰って行った。

 

今でもこの時起こったことは夢なんじゃないかと思う。

 

この後、さらに恐ろしいことが私を待っていた。

 

7ヶ月間の入院は、この世の地獄だった。

市立病院の小児科病棟は、どんな刑務所よりも悲惨な場所だった。

私はトイレと食事の時以外起き上がることを禁じられ、一日中身体を横にするように言われた。

テレビはもちろん、本も新聞もゲームも、娯楽は一切禁じられ、ベッドの横の棚にも私物をおくことは許されなかった。

血管が細いせいで看護師は何度も点滴に失敗し、その度に私の左腕には赤黒い痣が増えた。

 

夜はナースステーションの蛍光灯がカーテンの上部から殆ど遮られることなく入ってきて、家では真っ暗にしないと寝付けなかった私は、暗くして、と抗議したが、「そんなことできない」と冷たくあしらわれた。

夜中でも赤ん坊たちは泣きわめき続け、「ママ、ママ、」と母親を探してベビーベッドの柵の中で暴れまわる小さな彼らを、絞め殺してやりたいと思うほど憎んだ。

 

一型糖尿病の治療で向かいのベッドに入院してきた少年は、ベッドから動けない私を横目にいつも自慢げに院内散歩に出かけ、走り回った。

 

私は看護師や医者に一切文句をいうことがなかったのでさらにぞんざいに扱われ、モニターの数が足りないのだと言って誰にも使わせられないような古びたブラウン管型の超巨大心電図モニターをあてがわれた。

そんなものにつながれた私はみんなの笑い者じゃないか、と私は思い、変えてくれと泣きながら懇願すると一晩だけ元の新しいモニターにしてくれたが、次の日私がすっかり静かになっているのを見ると、また不細工なポンコツモニターに取り替えた。

 

私のベッドを通り過ぎる誰もが憐憫の目で私を見た。

私は動物園の檻の中のゾウみたいだった。

 

みんなは私をジロジロ見て可哀想、というのに、私はその檻の中から、一歩も出ることができなかった。

 

そしてこの病院で、可愛い女の子だった私は死んだ。

医者にも「いつ死んでもおかしくない」と言われていたくらいだから、本当に死んだのだ。

 

今の私は、彼女の後に生まれた私。

 

そうして体重が40キロになった時、私は解放され、いきなり外の世界に放り出された。

身体は健康に戻ったが、私の心はこの治療によってさらに深く傷つき、もはや永遠に癒えないトラウマを植え付けられていた。

それでも両親や医者らは再び元いた学校に私を通わせようとした。

私は泣きながら大声で行きたくないと言ったが、彼らは大丈夫大丈夫と笑った。

 

私は感情を押し殺したまま1ヶ月ほど学校に通った。

でもそれが限界だった。

学校でも私はかつての友達や先生から、可哀想と言われた。

どうしようもなく、私はみんなから可哀想と思われるような人間だった。

 

不登校になると、母と父は私の腕をつかんで無理やり引きずって車に放り込み、校門の前で私を放り捨てた。

 

病院はもはや何の役にも立たなかった。

 

私は学校に行かなくなってから、家中の食べ物をむさぼり食べるようになった。

去年まで鶏ガラのような身体をしていた私に母親は泣きながら「死なないで」、と心配していたのに、今度は「醜いブタ」と私を罵って、殴り、こんな子は私の子じゃないと言った。

実際、この時の私は肥満体型でもなんでもなく、ブタではなかったのだが、母親にはブタに見えたようだ。

リビングのソファに横になっていると、オットセイと言われることもあった。

 

 

 

これが私の人生最大の事件。

可愛い女の子の私は永遠に失われ、新しく生まれた私はそれから長い時間をかけて、数々のトラウマやフラッシュバックや過食嘔吐を経て、今日までなんとか生きてきた。

 

だから、ユーシーにとってのユージーは、私にとっての13歳まで生きていた私なのだ。

 

だれ?

あれは

痩せて死んでいった妹は、

引き離された半神は

あれは、わたし

 

 

そういうわけで、この一文が、私は自分のことのように思えてしまうのだ。

痩せて死んでいったのは、ほかでもない私。

引き離された半神は、私だったのだ。

 

 

2018/11/24

 今日は学校で泣いた

 講師に言われた言葉が悔しくて、涙がぼろぼろこぼれて止まらなかった。

 友達も講師たちも、その場にいた人はみんな気まずい思いをしたと思う。

 今になって恥ずかしい

 でもまだ悔しさは治まらない

 家に帰ってから2時間風呂に入ってさらに泣いた

 一度悲しいモードのスイッチが入ってしまうと、芋づる式に新たに別の悲しいことを思い出して、ますます涙が止まらなくなる

 人前で泣くなんて、すごく子供っぽくて恥ずかしいことだと思うのに、私はそれをやめられない。

 

 中学生の頃なんかは、よく授業中に暇つぶしに眺めていた国語便覧を読んで涙を堪え、授業終了のチャイムと共に教室を飛び出してトイレの個室に駆け込んでは、おいおい泣いた。

 高村光太郎の詩集。学校の授業で初めてレモン哀歌を読んだ時、私はただひたすらに綺麗で悲しい儚い物語を思って、泣いた。愛し合っていた夫婦が、不運にも引き裂かれてしまう。別れ際に智恵子が齧ったレモンは、トパーズ色の香気を出して、妻は一瞬病から解放されて正気に戻り、それは二人の生涯の愛を一身に傾けた。

 

 なんて綺麗な光景だろう。

 

 しかしその後、図書館に行って智恵子抄を借りて読んでみると、そこに綴られた膨大な愛の言葉に、彼らの夫婦生活がただ幸せな愛に溢れただけのものではなかったことがわかってきた。今度は私は、智恵子の心境を想像して泣いた。

 初めて見た智恵子の写真。低く庶民的な鼻、背が小さく頰には肉がたっぷり余っていて綺麗に痩せているわけでもない。まさにどこにでもいそうな平凡な女性だった。

 私はそれを見て、なるほどと思った。

 文学の才能も美術の才能も、何もかも完璧に兼ね備えた神様から愛されたとしか思えないような男性に毎日毎日、貴方は世界で一番美しい、と、貴方は段々綺麗になる、と、貴方は完璧だ、と、一つの欠点も見当たらないと、そう言い続けられたら…

 私は想像しただけで、身の毛がよだった。

 一切合切全てを肯定されて、ただ美しい美しいと…

 

 そんなのは、私ではない。

 貴方が見ているのは私ではない。

 

智恵子が病んだのは、あまりにも当然のことだと、私には思えた。

 

 

 

 

 

 

2018/11/18

 

友人Hは、友人Oを見て、いつも羨ましそう

Oちゃんってほんと顔小さいね

こんなに可愛いのに告白されたことないの?

Oちゃんならモテモテだね

そんなことないよ、髪型のせいで小さく見えるんだよ

お父さんの遺伝なの?

 

こういうのを聞いてると悲しくなる。

Hは自分がOより不細工だと思っている

それで、なぜか彼女の容姿をしきりに褒める

顔が綺麗かどうかなんて、どうでもいいと私は思う

そんな風に遠回しに自分の顔は不細工だ、と綺麗な顔の人に宣言することに、なんの意味があるのだろうか?

正直言って、客観的に見れば、私の顔は醜い。多分、OよりもHよりも醜い。

でも私は、自分が世界で一番美しいと思うときがある。

頭の中で今まであった人の顔を100くらい並べて、どれが一番美しいか、平均値はどれくらいか、自分は真ん中より上か下か…

バカみたい

と私は思う。

でも昔に見た野田秀樹の舞台で、こんなセリフがあった。

「顔の一つや二つ、どうだっていいじゃないか。」

醜い容姿に生まれた少女は、美人の双子の妹を憎んでいた。

誰からも愛される美人の妹…

「その、一つや二つが重要なんじゃない…」

 

顔の一つや二つ、その一つや二つが重要なんじゃない…

 

このセリフを聞いて、私は泣いた。

 

さらにその劇はこう続いた

「美人になりたいのかい?」

「いいえ、ただ、愛されたいの

 

つまりそういうこと